昨日、夕方、雨の京都に行って来ました。
親戚のお通夜に出てとんぼ返り。
親戚でもありましたが、仕事や活動の上でも尊敬し、私たち夫婦の目標としていた方、
廣末利弥さんが急逝されました。
22日まで普通に仕事をされていましたが、その深夜倒れられ帰らぬ人に。心臓の病気からの発作だったとか。
京都の社会福祉法人七野会の理事長で、21老福連の代表幹事でもあり、今月の初めに、仙台で老福連の研修があったときは、私の夫とも交流し、2度の大病を乗り越えられ、お元気になって良かったと話したばかりだったのに、残念でなりません。
お通夜は、無宗教で、洋楽が流れる中で、献花をするというもの。献花の列が途切れることはなく、なんと800人もの方が参列してくださいました。
施設のスタッフや大学でゼミの先生もされていたので、若い方がたくさん、しかも号泣している姿が見え、いかに多くの方に愛されていたのかと感動しました。
また、参列者の中には、立命館大学でご一緒だった、日本共産党の市田忠義参議院議員、穀田恵二衆議院議員のお姿も。また障がい児福祉の分野で有名な池添素さんのお姿も。
山登りとお酒が好きで、最後まで戦争法反対を訴えていた写真がたくさん流れる中で、
あらためて残念中で思いが募りました。心からご冥福をお祈りします。
市田忠義参議院議員もFacebook
に、書いてくださっていますので以下、文を掲載します。
『 今日だけは 通夜に 相応し涙雨
1960年代、立命二部で共に学び闘った仲間が逝った。私より3つも若い。
今日は彼の通夜。
氷雨が京都の夜に降りしきる。
葬儀場に入りきれない人が、長蛇の列をつくる。始まる10分前についたのに、私も一階のロビーで待つ。穀田さんの姿も。
卒業後、日本共産党京都北地区委員会の専従になり副委員長に。その頃の委員長がいま選対局長を務める水谷さん。彼も立命ニ部の出身。学友会委員長だった。
僕はその頃伏見地区委員会の委員長。
亡くなったH君は体をこわし、専従をやめたのち、社会福祉関係の仕事につき、施設長になった。
よく勉強し、その世界の理論家としても有名になった。確か立ニは中退だったのにある大学の講師も務めた。
講演依頼もひっきりなし。
元気そうに見えたのに突然亡くなってしまった。
夫人のNさんも彼の同期生。立ニ時代の同志だ。
「早すぎます。」と言って泣きじゃくり、僕の手を離そうとしなかった。
「彼の分まで頑張ろうね」というしかなかった。
地元の人、社会福祉の関係者、民医連、共産党、立命ニ部の当時の仲間たちで葬儀場は溢れ、悲しみの涙に包まれた。
「市田さん、身体、大事にしてや」。顔はかすかに覚えているが、よく知らない多くの人から優しい声をかけられて葬儀場を後にした。
標記の句は、誰の句か知らない。でも今夜にぴったりの句なので拝借した。
いま、東京へとんぼ返りの新幹線の車中。
いつ自分にもそんな時が、と思いつつ、残る人生悔いなく生きようとしみじみ考える。』