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  • 4月
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私の出身職場の社会福祉法人旭川荘の江草安彦先生お別れの会に参加しました。
三月の療育センター開所式の時はお元気で絶好調の江草節を久々に伺ったばかりだったので、こんなにも早くお別れの日がくるとは思わなかった。

思えば進路を決めかねていた高校二年生の夏休み、マザーテレサと江草安彦先生の講演を聞き、福祉しかない!と熱くなりこの道を選んだ私の原点。
この出会いがなければ今の私はない。
初めて先生の授業を受けたとき、 授業の感想や先生への要望を書いて出すようにと言われました。
しかもそれは毎回。学生といえども、お金を払って自分の授業を受けてくれているのだから、真剣に答えたい、早口とか、声が聞こえないとかなんでもいいから気がついたこと書いてほしい、そしていい授業を共に作り上げようとの姿勢に感服したのを覚えている。

そして念願の旭川荘に就職、なかでも、児童院に配属され先生の肝いりの重症児療育に携わることができる喜びに胸を膨らませた。

職場で江草先生にお会いできるのは、年1回から 2回。特に新年互礼会では毎回参加してる職員にご自分からお酒を次に回られ、 名前も家族構成なども覚えておられ、「君は今度子どもが一年生だろう、仕事との両立は大変でしょう」などその人にあった言葉かけをされることにも感服。

お別れの会でいただいた、先生の最後の著書を読んで
川崎先生の影響が大きいのだと実感。川崎先生も、すべての職員やその家族の情報を記憶され職員に気持ちよく働いてもらいたいとの姿勢を貫いていたと江草先生自身が書かれていました。その根本はすべては患者のためにという理念。

川崎先生は元は社会主義者、医師は生き方、全ては患者のためにの理念を貫いて来られた。
根本は同じですが、なかなか現場は違うと、私は労働組合の活動に力を入れるようになり、団体交渉では先生と対立することもありました。
団体交渉では真っ赤な顔をして怒られ、不愉快だ!と途中で退席されたこともありました。

今となってはいい思い出です。
議員になってもお会いするたびに励まして下さいました。
経営者としてどんどん旭川荘を大きくされ、医療と福祉の統合や総合診療の必要性など随分前から説いておられ、今それが当たり前のようになっている現状をみると、先生の先進性や手腕は、素晴らしいものだとあらためて感心しています。カリスマ的な先生を失い、これからの旭川荘がどうなるか?心配です。
功績をしっかり踏まえ繋げていかないといけませんね。
先生どうぞ安らかにお眠りください

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