- 02
- 1月
老人保健施設に入居している母のお見舞いに夫と行ってきました。
母はこの1月4日で75歳、病棟の入り口に元気なときの写真が飾られています。
10歳のときに広島で被爆をし、両親を失い、倉敷市のおじさんの家で育てられ・・・ずっと苦労してきたのに・・いつも笑顔で前向きで、負けず嫌いのがんばりやさん。そんな母が大好きで尊敬していました。なのに・・・
55歳のまだ市の職員の現役で働いていたときに、くも膜下出血で倒れてしまったのです。そのあとは病院と、家と施設・・・・ここ10年は同じ老人保健施設で過ごしています。
本当だったら、自分の家にひきとって介護したいのですが・・・・倒れたころが子育て真っ最中、そのあと、こういう仕事になってしまい、姉の家族が実家にいるということもあり、時々面会に行くことしかできていないのです。
お正月くらい家に・・・と思いますが、我が家は古い住宅で、以前何回か泊まってもらったのですがベッドもなく母にとって介護されづらい環境でかえってしんどい思いをさせたので、それからは会いに行くのが精一杯です。
時々しか行かないから、施設のいろんなところが目に付いて、夫も同業者であるがゆえ、ついつい厳しい目で見てしまいます。だけど預かってもらっているという身で、なかなかおもったことが言えません。 たとえば呼び方、母は信子というのですが
娘より若い介護士が「のぶさーん!」と呼ぶのはいかがなものか?
夫は自分の施設で、日本一の介護を!との理念をかかげがんばっているので、できたらお母さんに来てもらいたいけど、200人以上待ちの中で身内優先はできないよな・・・と
・・・世のため、人のためといいながら、自分の家族には何も出来ない歯がゆさを感じながら、また「よろしくお願いします」としか言えず、施設をあとにしたのでした・・・
10年1月5日 0:06:33
みつえさんの何とかしたい、何とかならないの、というお母さんに対する深い思いが伝わってくるブログ書き込みでした。