• 04
  • 4月

午後は、「浮島丸殉職の碑」を見学しました。「浮島丸事件」とは。終戦直後、1945年8月24日に旧日本軍によって、強制徴用され青森県で働かされていた朝鮮人労働者3735人を乗せた「浮島丸」が舞鶴港に入港し舞鶴湾で爆発し、朝鮮人524人が(政府発表)亡くなったという事件です。

戦時中の投下敷設した機雷に触れたために爆発したと言われていますが、戦後すぐ、なぜこの時期に釜山に送り返すと言う命令がでたのか?死亡者数の確認や事件の全容がまったく解明されていないと言うなぞだらけの事件だそうです。

当時地元に残っていた、年寄りや女性たちが小さな船を漕ぎ出し助けたと言うことで、市民の運動によってこの事件が表に出て、慰霊祭などが行われ、今も後世に伝える努力を市民の手でしているそうです。この

説明をして下さった方が、「浮島丸殉職者を追悼する会」事務局長の余江勝彦さん。我が岡山、倉敷市の市議候補として戦った余江くんのお父さんです。殉職の碑も美術家である余江勝彦さんの作品で赤ちゃんのモデルは当時の余江くんだそうです。

市民の手で守り伝える活動は、この碑のある公園の草取りなどもしたりと、大変なご苦労があるそうです。活動に理解ある新しい知事さんを誕生させここで慰霊祭をしたいとの余江さんの言葉に

皆さん共感の拍手でした。

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コメント2通

  1. 泉 乃里子 さんからのコメント:

    一ど見に行きたいと思っています。。
    余江さんは昔からいちずなかたでこういう問題に熱心に取り掛かっておられるのにかんどうしました。

  2. 竹永みつえ さんからのコメント:

    本当に素晴らしい作品でした、ぜひ!!

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