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もう闘病生活に入られて10年、私が党に入って23年だから本物の宮本さんの話を聞いたのは2回ほどしかない。しかもまだ入党したてのころだったのでとても難しく感じた。それでも若いころ宮本さんが打ち出した国民への「新鮮で柔軟な接近」という画期的な方針に心から賛同し寝てもさめても楽しくいきいき活動できた20代・・・・
今思えば若い人や新米党員をそこまで動かす方針を打ち出した宮本さんの頭ほど柔軟なものはないのでは?と感じる。
そうそうこれも若いとき、活動と恋愛の両立に悩んだとき、顕治が獄中、妻である宮本百合子とかわした「12年の手紙」を読み、2人の幸せだけでなくいつも、お互い何のために生きているか、どう生きるかを確認しそこに立脚する2人にただただ感心したのを覚えている。今若い人を育てるときに一番必要なことだと思う。
宮本顕治の存在すら知らない世代に彼の功績を伝え人間愛を伝え常に科学的に事実に立脚して考えることを教えるのがこれからの私たちの役割だと思います。
07年7月19日 21:34:02
もう少し、生きていて欲しかった。選挙の一票 損した。党の躍進を見てからでも良かったのに。
彼の階級闘争についての見解で、「大衆を尊敬して大衆から学び、大衆を信頼して大衆と共に行動する」。と述べられた。
この言葉(文章)が、大好きだ。
07年7月20日 0:36:07
宮本さんの素敵な言葉、ご紹介いただきありがとうございます。
私もいつも大衆とともに!をモットーに頑張ります。
09年1月5日 7:32:51
宮本顕治さんからいただいた、適切な批判(他人任せにせず、自主的になれ)は、私が生きているかぎり、忘れることはないでしょう。