• 07
  • 4月

東区乙子にある常夜灯は、130年以上も前に立てられたものです。吉井川の堤防工事にあわせて撤去さえれる方向でしたが、地元の方々の熱意で

残ることなり、このたび由来碑も建立され移設されました。

私の先輩の前辻野議員が、調査し、1874年、明治7年、当時の上道郡升田村聚鱣社(しゅうせんしゃ)が立てたと言うことがわかりました。鱣とはうなぎのことであり、ウナギ漁が盛んだったことがわかります。 地域の財産として残ることになってよかったですね!

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コメント2通

  1. 尾形秋彦 さんからのコメント:

    これと全く同じデザインの灯篭が宮浦の高島神社にあって、これの修理に町内会費を支出していた事に怒ったのでした。「クソも味噌も一緒にするな」と。
    みればみるほどよく似ているこれは、ある時代、瀬戸内地域で流行した物だと思われます。
    それにしても、台が階段状になっているところ、その上の「ネコ足」極限まで削られた火床柱、その上の屋根の反り、実用物ではないですね。いいものを見せてもらいました。

  2. 尾形秋彦 さんからのコメント:

    宮浦のそれについては、メールで送ります。

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