• 28
  • 7月

平和行進の県内通し行進を無事終了した我が家の次男坊(19歳)、より真っ黒になり一段とたくましくなったようです。(親ばか・・・・・ですね)

最終日は休みだったおにいちゃん(長男)も連れ出して歩いたそうです。さっそく広島大会に参加するためのカンパ活動も始めたと報告あり。頼もしい限り!

さて、我が家は家族の会話が結構あるほうだとおもう、その秘訣は・・・・1・我が家が狭いこと!(幸か不幸か6人家族で5LDK)、1階での会話はほとんどつつぬけ・・・2・リビングと台所が続いておりその真ん中にパソコンを置いている(性の問題などもオープンに語れるよう10年前からの思春期対策) だと思う。

さて火曜日の朝も・・・・

次男が、平和行進関連の他の人のブログをあけて、いろいろと説明をしてくれていた。その声を台所でご飯を食べていたおばあちゃん(84歳私にとっては姑)が、聞きつけ、「何をはなしとん?」と会話に参加してくる。

次男・「ばあちゃんも見る?ブログ、俺らの写真がのってるよ」

祖母「ブログってなんなら?」 次男・ 「うーん、人の日記みたいなもん」

祖母「人の日記がのぞけるんかなー、エライ時代になったもんじゃなー」

私「世界中からのぞけるんよ」  祖母「へえ~~きょうてーなあー(恐いなあー)」

ブログの、他の自治体が市長や議長なども歩き、運動の輪が広がっているという記事を読んだおばあちゃん!一言

「そうじゃ、そうじゃ、言うだけではいけん!行動せにゃあー闘わにゃあー、なーんも変わらん!」

次男「ばあーちゃんからそんなこと聞くとは思わんかった!」と 感心している私たちを尻目に

「そんなもん、おじいさんの時代から、決まっとる!」と言い捨て、また何事もなかったようにご飯を食べはじめた、ばあちゃんに ただただ、あっぱれ!なのでした。

余談ですが・・・・おじいちゃんは、シベリヤ抑留のあと満州鉄道で働き、共産主義の思想を田舎の当時の美甘村に広め、党支部をつくり、初の党の村会議員になった人。ばあちゃんもいつも畑仕事をしながら、金持ちも貧乏もない人類平等の社会主義の国がいつかやってくるという話を毎日聞かされていたこと、当時はほんとうに、山の向こうのすぐそこに、社会主義の国が来ているような気がしていたことなど、話してくれたことがありました。

先日の赤旗日曜版に次男の写真が大きく載っていたのを見て、「おじいさんが生きとればなー、喜ぶのに」と涙していたのをみると、少々、やんちゃでも、ばあちゃん孝行している次男に感謝なのでした。

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コメント2通

  1. yonago2 さんからのコメント:

    あらためて「日曜版」を取り出してきて、「どこかなぁ~」と見てみました。探すまでもなかったですね。見開きページの真ん中に大きな写真、その中でもひときわ目立ったのが二男君だったんですね。たのもし~い!

  2. 竹永みつえ さんからのコメント:

    お恥ずかしい(≧∀≦)σ

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