- 18
- 1月
阪神・淡路大震災から、1月17日で丸16年。
けしてあの日を忘れてはいけません。
まだ保育園児だったこどもたちが、揺れで目を覚まし大泣きしたのを覚えています。
夫は当時民医連にいたので、いち早く次の日に支援にはいりました。携帯もまだ持っておらず、TVの画面をみながら、あまりの廃墟に
夫の生死も不安になったのを覚えています。
帰ってきて・・・
トイレが一番困ったと・・・水洗トイレはどこも流れないので、川の水を運んでなんども往復してもどったことなど話してくれました。
結局、公的な小学校などの避難所に逃げることができたのは住民の12%だったそうです。
岡山市は防災計画の中で掲げている避難所が足りないのに、しんてい小学校跡地を川崎病院になんて・・・・とても恐ろしい結果になるのではないでしょうか?