• 17
  • 9月

16日午前中は西大寺被爆者会の慰霊祭が、西大寺の平和の塔の前でありました。

この写真は、式典が終わったあとの写真ですが、会員の皆さんも高齢化になり、本当に今の日本の現状に心をいため、どの方も

真剣に『核兵器廃絶』を生きている限り訴え続けたいとの想いが伝わってきました。特にいつも式の最後は『原爆を許すまじ』を歌うのですが

みなさんの大きな声を聞きながら、そして私もいつのまにか大きな声で歌いながら

「66年前のあの日・・・・私の母のこと・・・・今のフクシマのこと・・・・」いろいろ頭の中をぐるぐる・・・・会員さんがいつも私の両手を握って「お母さんはお元気?」と気にしてくださいます。ご挨拶の中で被爆2世だと言わせていただくので・・・「今年の2月に亡くなりました」とは言えず・・・・ただ手を握り合いました。「~さんもお元気でいてくださいね」と・・・そして夜は、韓国岡山商工会議所50周年の式典に。

こちらは400人の参加者で知事をはじめそうそうたるメンバーが顔を連ねている集いでした。

50年前は、在日韓国人にとって日本はまだまだ、住みにくい国であり、事業をしたくても融資をしてくれる銀行さえなく・・・・みんなで出資して商銀を作った話など。同じテーブルの商銀の方からうかがいながら、一歩一歩改善してきたというみなさんの想いを共有しました。会長の挨拶の中では「年間250万人の韓国人が日本に、年間300万人の日本人が韓国に、旅行におとずれるという関係になっている」と言われていました。

今の韓流ブームの結果でしょうが・・・でももっと本当に親密になるためにはお互いの国の歴史に目をそむけたままではいけないと思います。

昨年、日韓併合100年で、議会でも「従軍慰安婦問題の解決に向けて」の内容をいれた決議を全会一致であげることができるよう、超党派の女性議員で奮闘したことを思い出しました。規模は違っても2つの

それぞれの思いの詰まった集いに参加できて、活動を続けるということ、どう生きるかということ、政治のあり方・・・・いろいろ考えさせられた中身の濃い一日でした!

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コメント1通

  1. 野良通信 さんからのコメント:

    私のつれあいのじいさんはHROSIMAで被曝して、手帖を持っていました。つれあいと、一緒に生涯を過ごしたいと彼女の父親に言った時、彼女の父親はこう言いました『私は親の被曝前に生まれていたから「被曝のことは気にしなくてもいい」』と。私は彼女に夢中でしたから(今でもそうです神に誓って)聞き流していました。けれど、我が娘が相手を連れて来るようになった、この歳になれば、お父さんがそう言った時の切なさを感じます。誰が彼にそう言わせたか。我々の持つ歴史の罪は計り難い。

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