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- 10月
今日は妹尾公民館で5人揃っての市政報告会。
なぜか・・調理室で。アットホームでざっくばらんで、いろんな質問がとびかい、特に防災のことなどが飛び交いました。帰り際に、男性が『こういう感じはいい!5人揃って、それぞれの委員会報告でよくわかる!」とほめていただき嬉しい限り!午後は、レジリエンスという、DV被害者のサポート団体主催の
心のケア講座にいきました。
心はみえないだけあって、そのときは平気でも、あとからいろんなことで、ダメージが出てくると団体の代表の中島さんが、ご自分のDV被害の体験も含めてお話していただきました。
心のケアとして、自分なりの境界線をする訓練だとか、自己肯定感を育てるためのワークもあり勉強になりました。なによりもこれが正解!というケアがないこと、ひとりひとりちがうということを前提に、こういう場合は?などの情報提供をすることがたいせつだと、あくまでも受ける側の立場をつらぬく講座で、ゆっくりゆったりの無理のないお話しで、こういう感じもいいなーと思いました。
心のケア講座の講師を養成するのではなく、いろいろな選択肢を紹介するファシリテーターを養成したいということで、今度岡山でも連続講座を開催されるそうです。
私も受けてみようかな~、結構、組織や団体の中では決定されたことについて実行しながらも、いつのまにか心に負担をおい、結局活動ができなくなるという方も見てきたので、決定されたことを実行する上で方針だけ伝えるのでなく、相手の心に寄り添いサポートしながら伝えるという役割も必要なのでは?と思いました。
11年10月16日 10:13:38
後半の部分は一読して判然としない記事ではありますが、竹永さんの思いがくぐもっているものと理解しました。
ヒトは本来ココロの深い所に、他者を「ケア」しよう、したいという働きが備わっているものと信じたいものです。しかし、ヒトは他方で、献身、英雄的行為、の強制も行いかねない存在でもあります。
「ケア」という行為を論理的・体系的に考え直す。(見直すと言い換えてもいい)ことによって、新しい地平が見えてくるかもしれません。
おそらくそれは行き着く先で、献身的・利他的・英雄的な行いと交わるのではないかと思われますが、これは仮説です。
11年10月16日 23:11:23
野良さん、いつも、ありがとうございます。その講座では、自分の境界線をはっきり知ろう!そして守ろう!ということを教えられました。
そういうスキルの身につけ方を訓練する必要がある時代なのではないかとつくづく感じた講座でした。