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- 3月
大先輩の党員のKさんの米寿のお祝い会がありました。仕事を定年後25年間、党の西大寺事務所の掃除や会計管理、お客様の対応などをしてくれ、
不屈の党員と言う名がぴったりのいつも凛とした女性です。
15歳で満州に渡り、向こうの文部省に勤務。終戦で一変。1946年八路軍(中国共産党)が満州国を制圧したとき八路軍で仕事をされて1954年まで共産党の歴史や社会主義を学ばれたこと。
翌年日本に帰ってこられるんですが、その頃も大変だたこと、ご主人を亡くされて女で一つで子どもたちをそだてたこと・・・・
党と共に生きてきた彼女の生き様が明らかになり、党史とともに、学ぶことが出来てよかったです。
今は一人暮らしなのですが・・・離れて暮らす息子さんからもお手紙があり・・・・
12年3月21日 22:20:48
竹永氏が「西大寺ならでは」と自慢することの「源泉」がここらあたりにあるのだと「納得」しました。何時行っても守り番がいる事務所と看板を掲げているだけの事務所、年月を経ればその性格が違ってきますよね。これは経済合理性では説明できない。
12年3月22日 9:27:09
ありがとうございます、西大寺だけは党の議員の議席がとぎれたことがない地域・・・
西大寺だけは民主団体も岡山市と別にありみんな今も元気!
西大寺だけは・・・・党レベルでも、すぐひとつにまとまりいろんな行事ができる!
西大寺ならでは!と自慢したいところですが・・・
この写真見ていただけばわかるように!未だに49歳の私が最年少!次をそだてなければ・・・・・今は、事務所の守り番もいません・・・看板を掲げているだけです!あ~~~!どうしよう(-_-;)