なぜ?保育園新設が白紙撤回?
10年4月16日 金曜日昨日の保育専門委員会で、保育園の新設が、近隣の保育園が反対しているということで
白紙撤回となったとか・・・・こんなにも保育園に入れないという深刻な状況の中で
なんでこんな結果に?信じられない!!
658人もいる保留児、いまでさえぎゅうぎゅうづめの定員オーバーの中で
支援のいる子どもたちが増えている現場からは悲鳴が上がっている。今の現状に心を寄せるべきだと私は思いますが!!
昨日の保育専門委員会で、保育園の新設が、近隣の保育園が反対しているということで
白紙撤回となったとか・・・・こんなにも保育園に入れないという深刻な状況の中で
なんでこんな結果に?信じられない!!
658人もいる保留児、いまでさえぎゅうぎゅうづめの定員オーバーの中で
支援のいる子どもたちが増えている現場からは悲鳴が上がっている。今の現状に心を寄せるべきだと私は思いますが!!
5月にニューヨークで開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議にはわが党市議団林議員をはじめ岡山からも30人の代表団が結成されました。
そのメンバーでもある新日本婦人の会が、今日、岡山市議会議長宮武博氏に、会議成功に向けての要望書と賛同署名を持って面談。
私と林議員が立ち会いました。市長も、同じように代表を送る市職員組合の青年部に対して激励文をくださり署名もしてくれたこともあり、議長もこころよく署名に応じてくださいました。 (さらに…)
最後の観光は伊根湾沿いの町伊根町の舟屋、町並み保存地域を地元の保存会のガイドさんの案内で散策しました。
ちょうど伊根湾に追い込まれるように入ってきた鯨やまた魚の漁で栄えた町だそうで、母屋とその向かいに舟屋(船の格納庫が1階にある」というのがこの地域の方々の暮らし方でほとんどそのように町並みが残っていて、昭和初期にタイムスリップしたような感じになりました。舟屋の中から「ここに船が着きます」と説明を受けました。
またこの町はずっと前から協同組合として組織され、収入は分配制で平等、だからどの家も母屋と舟屋と蔵という持分でおなじような町並みになったとか・・・
競争もねたみも、犯罪もなくとてもいいとおっしゃっていました。
午後は、「浮島丸殉職の碑」を見学しました。「浮島丸事件」とは。終戦直後、1945年8月24日に旧日本軍によって、強制徴用され青森県で働かされていた朝鮮人労働者3735人を乗せた「浮島丸」が舞鶴港に入港し舞鶴湾で爆発し、朝鮮人524人が(政府発表)亡くなったという事件です。
戦時中の投下敷設した機雷に触れたために爆発したと言われていますが、戦後すぐ、なぜこの時期に釜山に送り返すと言う命令がでたのか?死亡者数の確認や事件の全容がまったく解明されていないと言うなぞだらけの事件だそうです。
当時地元に残っていた、年寄りや女性たちが小さな船を漕ぎ出し助けたと言うことで、市民の運動によってこの事件が表に出て、慰霊祭などが行われ、今も後世に伝える努力を市民の手でしているそうです。この