分類: 日記帳

西大寺ふれあいセンター祭り

14年7月21日 月曜日
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日曜日の午後は西大寺ふれあいセンター祭りに。
ニセ孫ちゃんを預かっていたので、
初めて長時間楽しませていただきました。3時間ほど過ごさせていただきしみじみ、公的な施設っていいなあということです。
地域のみなさん、団体、福祉団体総出で食べ物や遊びの屋台を低料金で提供。子どもから高校生、シルバーの方までさまざまなボランティアの方とふれあえる。
そしてステージも楽しめる!
たくさんの親子連れのゆったりとした笑顔に出会えました。
ニセ孫ちゃんはまだ幼稚園にも行ってないので、初めての体験も多く目がキラキラ。
高校生四人からニセ孫ちゃん一人のために手遊び。
大きな風船に人間がはいるマジックショーでは、中からフナッシーヤライダーが出てきたり、腹話術も初体験。なんどもなんども、
すごーかったなあと、お話ししていました。
すっかりおばあちゃんとして楽しんでいたのに、次々職員さんが挨拶に来ていただき、理事という視点も思い出させていただき、頭はお仕事モードに!
いろいろチェックしてみましたが
駐車場もスムーズ、子どものゲームコーナーの誘導もスムーズ、内容も充実、とてもよかったのではないでしょうか?

こういう公的な場所が地域の拠点となり、人がつながる場所になるよう継続できる予算を確保するよう私も頑張りたいと思いました。
唯一、お化け屋敷コーナーはニセ孫ちゃんが怖がり行けなかったのが残念(≧∇≦)

なおりました!

14年7月21日 月曜日
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以前5月ごろ要望していた、松崎のカーブのところ、二車線のところですがわかりにく印でも!とお願いしていたら出来ました(^-^)/ありがとうございます。

夜待ち祭り〓

14年7月21日 月曜日
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西大寺よまちまつり!
祭りに人が集まってくる時間帯狙って街頭宣伝を3箇所で!
話は集団的自衛権一本、お祭りが楽しめる時代をいつまでも!
戦争なんてとんでもない!
若いかたがたからの声援多く励まされましまた。
また宣伝終わると竹永ファミリー大集合で女子は浴衣に着替えて花火をみました。
人に酔いそうだけど花火は、結構見ることができて大満足の夜でさした。

原点に帰ろう!

14年7月20日 日曜日
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全国障害者問題研究会の岡山支部総会に参加しました。
わたしが30年前に旭川荘に就職した時の上司が今定年され作業所を立ち上げられ、毎日の障害者とのふれあいの中で感じている人権や福祉の視点の話をされました。
そして中村教授からは、あの糸賀一雄先生の、この子らをよの光に!という、障害者福祉の原点の話をされました。
また、とかく、問題行動に目がいきやすいが、問題行動ではなく、普通に穏やかに過ごされている時はどういう状況かと複数の目で確認し、何が必要かを提供できるのがプロ集団だといいきりました。

久々に血が騒ぐ!講義でした。
思えば、新人職員のとき、重度障害児の施設だったのですが、子どもがたくさんいる部屋を見て、あなたたちは何も感じないのか?と問い詰められ、タジタジに。
すると、あなたたちは家だと、個室か兄弟でふたりくらいまでの部屋があるでしょう?障害がおもかったら、みんな同じ部屋でいいのですか?憲法にはどう書いているでしょう。
などなど説いてくださり、私の人権的な視点が定まったのです。
迷ったら原点に!今日のお話もまさしく福祉の原点!

今年の平和行進は熱い!

14年7月18日 金曜日
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今年も平和の夏がやってきました。集団的自衛権行使させないためにより力を入れて歩きましょう!とよびかけさせていただきました。100人近い方と東区役所で出発式。区長も参加してくださりカンパも!また通し行進のみなさんと、平和の碑にもお参り。東京からのとうし行進のかたは2人。
学校の先生を定年し時間取れたからという方やもう何年も歩いてる方といろいろ。
また今年は、アメリカから若い女性ソフィアさんが。
自分の国が日本を戦争に巻き込もうとしていることに恥ずかしくもあり、怒りも感じると、歩く意義を語ってくれました、
私は総指揮で一番前を東区役所から曹源寺まで約7キロを歩きました!

つながって・・・つながって・・・名曲がうまれる!かも・・・

14年7月17日 木曜日

この前の日本共産党演説会で、私がちょっこし、自作の子守唄を披露、それを聞いてくださった視覚障害者友の会の岡崎しげあきさんが、お手紙と演説会を録音してくださったCDをくださった。

そのお手紙には認知症のおかあさんが誰のことを聞いてもわからないのに、6歳上の三郎兄さんのことだけははっきり戦死した様子まで話をされるとの内容。

そしてそれを読んで調子に乗った?私は、そのお話をもとに作詞・・・それが
原やんこと原田義男さんが作曲してくださることになったと・・・
超感動です。 タイトルも歌も作曲の段階で編集してくださるかもしれませんが今のところ私が作った原文を紹介します。

 (仮タイトル) さぶにいさんの形見

1・認知症の母はもう何もわからない 娘の顔も孫のことも もう何もわからない だけどそんな母が ただ一人忘れない   何年たっても、どんなときも ただ一人忘れない
私の6つ上の兄は  南の島で死にました たった18で志願して お国のために死にました 恋も夢も青春も  何も知らないままで 「家さ かえりてえなー」と  かなわぬ想い抱きながら
      
2・6つ上の母の兄は三郎と言う名前 海軍で乗った船はおきたかという名前 冬の寒い朝早く海の底に沈んだ  誰にも見取られないまま海の底に沈んだ
 兄の形見の時計は あれから祖母の腕に うごかないままずっと あれから祖母とともに 何年も何十年も平和なときを過ごし 「もうがまんせんでええ」と届かぬ声を伝えながら

3・祖母がなくなる前に動いた腕時計 祖母と一緒に召されるために動いた腕時計 海軍帽だけのお墓に あれから70年 祈り続け伝え続けた平和への70年

 戦争したい独裁者は また血を流せという 憲法の解釈を変え  命をすてろという もう二度と大切な命を お国のためには捨てさせない

「ぼたもちうめえ~」と あの笑顔守るために